
繊細な日本文化と亞熱帶気候の台湾式の情熱との中間には著しい文化の相違があり、彼女達が被災地でのボランティア活動を通じて、その距離を縮めたようだ。
中村瓊珠は、最初心配し反対だった夫から「日本人のためにボランティアをしてくれたので、日本人の僕は頭が上がらない」と励ましの言葉を言ってくれた。その後、夫の中村省吾も慈済ボランティアとなり、今回も同行しており、運転手と総務の役割を担当しました。

熊本地方は連日の悪天候にも関わらず、夜六時までずっと炊き出しをした。被災者のその一言で全ての疲れが吹き飛んだ。

東惠莉は今回の団体生活の中で、包容することを学んだ。マッサージに心得がある彼女は積極的に被災者をマッサージして疲れを取った。そして年配者にマッサージを教えた。孫素秋はボランティアたちの姿をカメラに納めた。それと同時に、茫然自失の被災者を目にして心を痛めた。
色白の林美青は今回が初の被災地でのボランティアだった、「今までが幸せで、ベッドがないと眠れなかった。やっと人間の寝る場所は三尺ほどの大きさで十分というのが理解できた。被災地の年配者が避難所で待っている姿を見て、心で寄り添うことしかできず、両手で年配者の手をしっかり握りしめようとした」と話した。

「日本人に嫁いでくれてありがとう」という被災者のその一言に彼女達は涙が熱くなった。何日も風雨の中で炉の火をともし続けたことは、まるでこの答えを待っていたかのようで、それは、人生の答えのようでもあった。
文/陳靜慧 訳/小野雅子