人間菩薩のネットが世界を覆う

2021年 4月 29日 慈済基金会
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『妙法蓮華経・薬草喩品』に「一点の雲が瞬く間に大地を覆い、一時に等しく雨を注ぐ。そして、その潤いはすべての草木を満たす」とある。慈済基金会は台湾で始まったが、2011年東日本大震災の際に慈済が大規模な支援を行ったように、大愛の善意ネットワークは地域を問わず広がっている。

2020年3月末、台湾から東北の仙台に到着した私は、慈濟日本支部と東日本大震災に関する情報を収集し、日本の天理大学の金子昭教授が、現地での大規模な慈済の援助に参加したことを知った。さらに東北地区の方々が、慈濟基金会の「御見舞金」や「竹筒歳月」活動、「静思語」などを評価してくれたことに深い感銘を受けた。

五百の竹筒 千手の祝福

東日本大震災の後も日本の慈濟ボランティアが毎年現地を訪れ、祈福感恩会などを行ってきました。現在、東北石巻地区には委員の張君と、亀山千代志氏を始め、そのほか約10名のボランティアがいます。

10月の中秋節で私は東北のボランティアと合流し、慈濟委員の張君が熱心に対応してくれました。また、仏壇に置かれた千手観音の姿が印象的でした。金子昭教授は慈濟の「竹筒歳月」精神と「靜思語」は日本文化と融合していると話していました。そこで、更に多くのボランティア「人間の千手観音」を募集する考えを張君に提案しました。つまり500人いれば1000の手となることから、500個の竹筒と500の靜思語を組み合わせようと提案したのです。

あの時の「絆」を祝福に変えよう。一日の五円、一日の一靜思語で自分自身だけでなく、他の人を助けることになる。東日本大震災から10年目を迎えた今、「養竹筒」(毎日、竹筒にお金を入れ、「靜思語」を読むこと)体験を共有しよう、と言うプロジェクトだ。

東北地区のボランティア達は空の竹筒をどうやって入手するのか?デザインはどうするのか?を時間をかけて検討した。500本の竹筒が日本を幸せにしてくれることを心から願い、東北のボランティアたちは試行錯誤しながら作業を進めました。

一日五円 一粒の米でも集めれば籠いっぱいに

竹筒を作る過程で新人ボランティアが思う存分に力を発揮できる場を提供し、慈濟精神の原点を互いに学び築き上げていくことができればよいと考えた。しかし、人によって作業できる時間が異なる。みんなの時間は、竹筒の中の銅板のように断片的だ。張君は、まさに「一粒の米でも集めれば籠一杯になる」のように、耕すことに専心する農夫のような精神で種を蒔いていった。

例えば、亀山師兄はボランティア研修生であったが、「お見舞い金」に書かれていた『靜思語』「信仰、忍耐、勇気があればできないことはない」に惹かれ全力で取り組んだ。東北地区のボランティアは、協力して、無から有へ、1個から500個まで、の精神で500個の竹筒セットを作り上げた。竹筒セットには、竹筒、靜思語、靜思茶の「三宝」と説明書が入っている。

コロナ禍で物理的な交流が思うようにできないため、「竹筒歳月」を使って、慈善を現場に根付かせようという意味を込めている。また、「靜思語」を封入したのは、仏教との縁が繋がるようにと意図だ。日本はお茶が好きな国だということで、台湾三義の靜思茶も同封している。500セット分のお茶は東京のボランティアたちが心を込めて包装して送ってくれた。

完成した500個の竹筒のデザインやパッケージは、精巧なものではないが日本東北地区ボランティアの献身的な努力と、東北と東京との大愛のネットワークにより作り出した、その思いの結晶だ。

東日本大震災から10年を迎えようとしている今、東北地区のボランティアは「竹筒歳月」による1日5円の節約精神が根付くことを願っている。ひとりひとりの一善が、ひとつの靜思語が、千の災害を破る力となるのだ。人間の千手観音として実名制で始まったこの竹筒育成プロジェクトによって、東北地方に、善の人間菩薩ネットワークが広がるように願っている。

人がどこにいても、仏の教えはそこにある。竹筒セットは人間による千手観音プロジェクトであり、それを日本で皆さんと一緒に進められた幸運に心より感謝している。慈善は根を張る、人の心はその根に宿る、その心は普遍的に純粋だ。地球上の無数の菩薩に祝福を、世界に無数の平和と幸福を願ってやまない。


訳/岩村益典
文/楊秀娩
法鼓文理学院佛仏教系博士班 博士候補者
日本東北大学大学院文学研究科宗教室 大学院研究生