慈済日本のサイト

05月26日
  • Increase font size
  • Default font size
  • Decrease font size

昆明に集って愛を届ける

Eメール 印刷
たとえ援助を必要とする人が多くても
辺鄙で交通が不便な所で
ボランティアの数が少なくても
彼らは勇気をもって
山まで歩いて
あたたかい愛を届ける


四年前、仕事のために中国の雲南省昆明に移住した慈済委員の劉玫は、そこで中国人の杜偉と柴祖芳と知り合った。杜偉と柴祖芳がかつて、はるばるマレーシアまで行って慈済支部を訪ねたことがあると聞いて、劉玫は彼らの発心に深く感動し、三人で昆明で慈済の奉仕活動を始めることを決意した。劉玫はまず、上海に住み、中国での奉仕活動の先駆者的存在である邱玉芬に相談しようと電話をした。劉玫の話を聞いて、邱玉芬は、「もしあなた方が活動の中心となって奉仕する決意があれば、私は喜んで皆さんを連れて、昆明での奉仕活動に馳せ参じましょう」と快く協力を承諾した。

「当時私はどのように奉仕活動を計画し実行すればよいのか分かりませんでした。ただ、上海のボランティアが学費援助経費の募金のためのキャンペーンをしていた時、みんなが一致協力して奉仕をしていた姿を見て、突然勇気が沸いてきて、自分も昆明であのようなことをしたいと決意しました」と劉玫。この勇気が、劉玫がその後昆明で慈済志業を開拓する力となった。「私は台湾に帰る度、すぐ昆明に戻ってくるのだと、自分に言い聞かせました」。劉玫は小さい頃から現在に至るまで、こんなに責任感と使命感を覚えたのは初めてであると語る。

それから四年来、三十数名のボランティアは堅固な決意で慈済の志業に足を踏み入れた。密馬龍山のミャオ族集落を訪れて、貧しい子供たちに布団や冬の衣服を贈った。また、八千元の募金をつのって患者の入院費とした。そのほか、昆明市の近くにある西山区楽畝村の住民が生活に苦しんでいたので、定期的に訪問して関心を寄せたり、冬に救済物資を配布したりした。その間、学費援助のケースもあった。

安寧螺絲塘村の孤児兄弟張蘭と張飛に関心を寄せ、ハンセン病院の入院患者にも手をさし伸ばし、小学校の給食支援や宿舎の修理、大哨村と竹園村の物資配布など、苦難の人があればすぐそこへ助けに出かけた。

志を一つにする人が四方より集る
雲南省の人口の三割が少数民族である。省政府は昆明市内にあり、住民は異民族や他省からの移民で構成され、ボランティアの背景も多様である。

四川省から嫁いできた王梅はそれまでどのようにしてたった一人で難しい慈善活動を行なおうかと頭を悩ましていた。二〇〇九年五月、彼女は友だちに誘われて、慈済が催した灌仏会(かんぶつえ)に参加した。この時にボランティアの話を聞いてすぐ慈済ボランティアの列に加わることに決めた。自分の経営する喫茶店に慈済の読み物を陳列し、客に慈済のことを話して聞かす。

王梅の店で働いている二十五歳になる青年ニマーは、雲南省に居住する二十五の少数民族の中で最も少ないモソ族で、瀘沽湖(ろここ)の畔に住んでいる。「モソ族は仏教を信じ、母系社会です。祖母が一家の主となり、家の者たちは女性を尊敬しています。それで私は法師さまの法相を拝見すると感動します」とニマーは慈済が慈悲を同胞に実践しているのを見て感動し、自らもボランティアとして投入している。友だちにも常に慈済の静思語を説いて聞かせる。

ニマーの母親は貧しい故郷で伝統手工芸をしている。女性たちに呼びかけ、一緒に手工芸に励んでいる。ニマーは母の手となり足となって、モソの文化を広め、商品を携えて昆明へ売りにでかける。この精神に王梅は大変感動し、その商品を自分の喫茶店にも陳列したので、店には静思文化とモソ文化が共存し独特の雰囲気を漂わせている。

中国の東北地方からきた李金玲は二十四歳のときに、夫が不慮の事故で亡くなり、幸福な生活が一変した。幼い子供を連れて四方を巡って仕事を探した。無数の苦難を経験し、命の危険にも出くわしたことがある。神さまは不公平で、自分たちは誰よりも惨めな暮らしをしていると思っていた時、昆明で慈済に出会い、少数民族の訪問ケアに参加した。


「山の上の集落を訪れた時、自分よりもっと大変な苦難に遭っている人々がいることを知りました」。慈済の愛は李金玲に生命の方向を指し示し、今、彼女は社会に奉仕して新しい人生の幸福を体得している。

慈済で環境保全のボランティアをしている林治宏は、二〇〇〇年に台湾から昆明に渡り、パン屋を経営している。道端で子供の乞食を見かけると、夕方閉店後に車にパンやケーキを積んで子供たちに分けてあげていた。その後、慈済ボランティアと知り合って慈済の活動に参加するようになった。「昆明で慈済と一緒に慈善を行えることは私にとって大変光栄なことです。昆明の同胞に愛をもたらしたいです」。

イ族の歌声が満ちる
ボランティアチームはふだんから慈善奉仕に励むほかに、生活物資を遠方の山地に配布する。毎年の年末は冬季配布を行う。今年はさらに、昆明市西方の楚雄イ族自治州の姚安県にまで愛の手を伸ばした。

昨年の七月九日、姚安県にM・6の地震が発生し、楚雄一帯は人口の半分以上が被害を受け、一万八千余りの家屋が倒壊し、三百人余りの負傷者を出した。

震災から二日後、ボランティアは車で四時間かけて被災地に赴き、被災情況の視察をしたほか、政府関係機関と協議した。冬に入った後、被災者のことを心配して、今年一月二十一日と二十二日に亘って一万五千人分の衣類や布団、白米、食用油などの物資を贈った。被災地が広範囲に及んだので、遠く上海、蘇州、昆山及び台湾から慈済人がかけつけ、当地のボランティアと協力してこの任務を全うした。

当地のボランティアが配布の秩序維持に当たり、運搬の協力、物資の梱包など、家に持ち帰るのに便利を計ったので、配布は順調にはかどった。



昆明の慈済ボランティアは二年続けて大型の冬季配布を催して来た。一歩ずつ範囲を広げ、雲南省に愛の種を散布している。

雲南省の昭通市から来た若い女性の合泂は、劉玫の助手である。いつも慈済の活動に参加している彼女は、「昭通は辺鄙な地にある上、環境が悪い。いつかは慈済がそこまで行って援助をして欲しい」と願っている。

劉玫は台湾から来た商人をボランティアになるよう誘うだけではなく、現地のボランティアたちにも地元の人々に関心を寄せるよう呼びかけている。「雲南省にはまだ愛を必要としている所が数多くあります。私たちは人力が足りませんので、遠い地には愛が届きません。最もよい方法は、愛の種を広くまくことです。雲南省の各地にボランティアが現われるように願ってやみません」。

慈善の種はすでに昆明に芽生え初めている。その美しい景色と同じように、人の心も美しい。

◎文・邱如蓮/訳・重安/撮影・蕭耀華
(慈済月刊五二三期より)
 

" 【反省する】常々己を省みて、過ちを犯さないようになれば、解脱して自在を得る。 "
静思語